偏屈頑固じじいは身近にいますか?
しょっぱなの質問から悪意を感じますね(笑)
私の父は偏屈頑固じじいでした。
今の時代ならモラハラ、パワハラと言われるようなことが日常茶飯事。
でも今日は、その偏屈ぶりが本題ではなく、そんな父でも最後まで人との関わりを必要にしていたというお話です。
長きにわたる不摂生と、病気により左半身が不自由で、車いす、週3日の透析という生活だった父は、亡くなるまでの数年間、施設で暮らしていました。
日々の生活は、職員の方、介護士の方、お医者さん、リハビリをしてくれる作業療法士の方などに支えられていたのですが、ほとんどの人に対しては「あいつはだめだ」「あいつはうるさい」と文句を言いまくる父・・・
でもそんな中でも、週に2回ほどリハビリに来て下さる男性の作業療法士の方だけはお気に入りでした。
と言っても、なんせ偏屈頑固じじいですから、相手の方には伝わっていなかったと思います。
リハビリ中も「痛くしないでくれ」(いや、多少の無理をして頑張らないと、どんどん可動域狭くなりますよ、お父さん(^-^;)
とか、「マッサージしてくれ」(だから、リハビリに来てくれてるんだってば!!)
といった調子で、作業療法士さんは大汗をかきながら、父の身体を丁寧に伸ばしたり、まわしたり、動きが悪くならないように、頑張ってくれているのに、父の口から出るのは、文句か、無理なお願いか・・・
付き添っているのが、恥ずかしくなるような状態でした。
でも、彼が帰ると。
「あいつは、がんばってる。いいやつだけど、職員からの評判はいまいちなんだ。」
と気にかけている。
「今度初めてハワイに行くらしいんだ」と個人的な話まで聞いている(^-^)
そのあと、また施設に行くと、ちょうどリハビリ中。
「〇〇さん(父の名前)が教えて下さったお店は、予約取れませんでしたよ。」
「そりゃそうだろう(満足げな表情)」
「〇〇さんは、いろいろご存知ですよね~」
父が、家族以外と会話らしい会話をしているのを見るのは本当に久しぶりでした。
いつもむすっとして、壁を作っているようにしか見えなかった父も、本当は
話を聞いてほしい、認めてほしい。と渇望していたのではないかと思います。
彼は、それを満たしてくれていた。
そして、父は「俺だけはあいつの良さを分かっている」と思うことが、とてもうれしかったんだと思います。
誰かにわかってもらえてる喜びと、誰かをわかっている喜び。
本当に、最後の最後まで偏屈頑固じじいでしたが(しつこい(笑))
人間らしい、かわいらしいところもあったなとふと思い出しました。
さぁ、今日も楽しもう!!