兄弟や姉妹はいますか?
私は姉と私の2人姉妹です。
娘たちも2人姉妹。
私の母は8人兄弟でした。
でも一番上のお姉さんは兄弟の誰も会ったことがなく、お墓に名前が刻まれているだけ。
そして8人中唯一の男の子は戦時中に生まれ、3歳くらいで風邪をこじらせて亡くなったそうです。
なので、私が知っている母の兄弟(姉妹)は6人姉妹。
母は末っ子だったので、私が幼い頃には、従兄弟や、従兄弟の子供もたくさんいて、お正月にはホテルの宴会場を借りて新年会をするほどの親族の人数がいました。
祖父と祖母の名前から一文字ずつとって「秀亀会(しゅうきかい)」と名付けていました。
幼い私は、年に数回しか会えない親族の顔と名前を覚えるどころか、関係性もほとんど理解できないままでした。
それでも、よそ行きの服をきて、親族の間を練り歩き、ニコニコとお年玉をもらっていたことは覚えています(笑)
根っからの営業マン
自分も子供を持つようになって、改めて思うのですが、8人産んで育てたって、祖母はすごいなぁと思います。
とっても華奢な人でした。おそらく心は華奢ではなかったはず。
時代的には現代よりは多産傾向だったとは思いますが、それでも戦争をまたいで…と考えるとすごいなと思います。
子供たくさん産んだ方がすごいとか、産まないとすごくないとかそんな視点の話ではありません。
むしろ、妊娠も出産も、育児も当たり前のように思われているけれど、人間をひとり産み育てるって、壮大なプロジェクトなのではないかとふと思ったりします。
それを選択肢があったのかなかったのかもわかりませんが、8人も産める丈夫な体だったということ、そして心も元気でなければ生き抜けなかっただろうなと思います。
祖母は80代後半まで、元気に生き抜きました。
そして母からよく聞いた話
「私はほとんどお姉さんたちに育ててもらったのよ、それと朝、髪を結ってくれるのはお父さん(私の祖父)だったのよ」
と。
そりゃそうですよね。
朝からどれだけの朝ご飯とお弁当を作っていたのか。考えるだけでも相当な労働量。
しかも食洗機はもちろん、炊飯ジャーも電子レンジも何にもない。
そして、想像するに、おばあちゃんは捌く(さばく)ことのできる人だった。
「あなたはこれやってね」と言わずとも、仕事を分担してやる環境を作っていたような気がします。
人を上手に使うって大事なことですよね。
言い方が悪いかな?
上手に人の手を借りるって大事なこと。
一人暮らしだろうが、家族と暮らしていようが、自分一人でできることには限りがある。
人の手を上手に借りる。
祖母が生きていれば、改めて学ばせてもらいたかったな。
ちなみに、祖母のお葬式の時、縁側に並ぶ6人姉妹はそれぞれ性格も体型も違ったのですが、どことなくみんな似ていて、そして全員幸せそうで、まるで祖父と祖母の作品を眺めているような気分になりました。
さぁ、今日も頑張りますよ、亀代さん!