自分の感受性くらい 茨木のり子
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
20年ほど前に、講師業の先輩から教わった詩です。
当時はこの詩の持つ独特な力強さと、全ては「私のせい」という姿勢に惹かれて、すぐに茨木さんの詩集を買いに走りました。
でも改めて読み返してみると、本当は弱くて、不安で、苦しくて、それでもどうにか自分を守ろうと必死で立ち続けようとしている、とても人間らしい感情が溢れている気がしてきます。
茨木さんは19歳で終戦を体験した方です。
一番多感な時期に、自分の力ではどうにもならない天変地異を味わってきた。
それを知ると、またこの詩のひとつひとつ言葉の重みが増すような気がします。
「先が見えない不安」
「どこにぶつけたらいいのかわからない、怒りや悲しみ」
「なぜ自分ばかりが」
コロナ禍で聞こえてくる、心の底からの叫び。
流石に誰かのせいや、時代のせいにしたくなる気持ち。わかります。
でも「自分」は誰も代わってくれない。
茨木さんが「ばかものよ」に込めた想いは、自分を、私たちを鼓舞するためのエールだったのかなと思います。
さぁ、今日もがんばろう!!