私の父は、亡くなる前の数年間、医療施設で過ごしていました。
週に3回の透析が必要で、左半身が不自由で、歩行ができず車椅子かベッドの上での生活でした。
最初の頃、暇を持て余しているのではないかと思い、雑誌や本はいらないかと何度か聞いたのですが、
返事はいつも「読む暇はない」
正直言って、意味がわかりませんでした。
わたしから見ると父が暇にしか見えなかったから。
昔は仕事の合間や、休みの日にクロスワードをやっている父を見たことがあったので、クロスワードパズルの本を買って行ったこともあります。
その本は部屋の片隅でホコリが溜まっていくばかりでした。
何気なく「あれ(クロスワード)やらないの?」と言うと
「これ以上何かさせようとするな」と怒られました。
またまた意味がわからなかった。
父に何かをさせた記憶なんてなかったから…
先日社内でその当時の話をしていたとき、社長が教えてくれました。
何にもしてないように見える人が、実は一番自分はやっていると言う自覚があって、一番疲れていることってあるんだ。
父はまさにその感覚だったのかもしれないと思いました。
自分の思う通りに生きていた人が、あっという間に身体と生活の自由を奪われて、施設のルールに従わされて、タバコもダメ、酒もダメ、食事すら選択の自由はなく、時間が来ると決められたものを配膳される。
ベッドから車椅子に移動することすら、自分一人ではできなくて、誰かが起こしてくれるのを待つしかない生活。
父はその中で、頭だけいつも忙しく回転させていたのだと思います。
時々、急に電話をかけてきては、こちらが困るようなことを言い出すことがありました。
「俺の墓は、京都に買うつもりだ。」
「来月には家に戻って、一人で暮らそうと思う」
「そろそろ仕事に戻ろうと思う」
その時は「何言っているの!?」と思ったし、少し認知能力が下がってきているのかと疑ったりもしました。
どれもこれも到底叶わないことばかりで、わたしは曖昧な返事を返すことしかできませんでした。
ちゃんと話を聞けばよかった。
話を聞いたら、父の考えを受け入れるしかなくなると思っていて、話を逸らすことしか考えていませんでした。
叶わないことばかりを言い出す父に腹が立つこともあったし、混乱することもありました。
話を聞いてすらもらえない父は、はたから見ると何もしていないように見えるのに、どんどん疲れて、くたびれていきました。
そして何度目かの脳梗塞の結果、父は満足に話すこともできなくなってしまったのです。
動けず、書けず、話せない。
なのに頭は回転し続ける。
どんなに苦しかっただろう、どんなに虚しかっただろう。
ボケられたら楽になれるんじゃないか、なんて不謹慎なことも考えました。
そして、父は眠っていることが増えていきました。
身体の状態も悪化して、病院に移され、誤嚥の危険性を避けるために食事もとめられ、点滴につながれるようになった頃、
会いにいくと目を閉じていることばかりになりました。
テレビを見ることはできたのだけれど、テレビも一切見なくなりました。
(お父さんは何か楽しいことはあるんだろうか)
最期の数ヶ月は会いにいくたびに、父の身体をさすることしかできませんでした。
眠っているように見える父でしたが、腕や、足をさするのをやめると目をうっすらと開けて、「あー」と不満をもらす。
そして私はまた身体をさする。
そしてこっそり持って行ったアイスクリームやプリンをチラッと見せると、首を縦に振る父。
バレないように、少しだけ舌の上に乗せると、少し嬉しそうな顔を見せてくれました。
私なりに、わがままだった父によく付き合った数年間だったなと思います。
でも、もし時間が戻せるならば、
もっと話を聞けばよかった。
父が話ができたうちに、なんでもっと本気で話を聞かなかったんだろう。
叶わないことでも、無理なことでも、なんでもいいから黙って話を聞けばよかった。
父が亡くなってから、初めて後悔しました。
ごめんねお父さん。
父が亡くなって1年と少しが経ち、久しぶりに父を思って涙しました。
今週末はお墓参りに行こうかな。
さぁ、今日も頑張ろう!