「天国泥棒」という言葉を聞いたことはありますか?
聖書の内容に触れたことがある方は、耳にしたことがあるかもしれません。
どうやら日本でしかこのような表現はしないそうですが、
犯罪を犯した罪人が、死の間際に自らの過ちを悔い改めることによって、イエス様はその人をお許しになったという逸話から来た言葉です。
要はどんなに悪いことをしてきても、最期に悔い改めれば許される..という解釈です。
本来の話の本質はそこではないのですが、子供の頃の私は単純に「よかった〜」と胸を撫で下ろしたのでした。
以前のブログにも書きましたが、子供の頃の私は、些細な罪を重ねては、寝るときに地獄絵を思い出して懺悔する日々(笑)
仏教の地獄絵に怯え、キリスト教の逸話を都合よく解釈して救われた気分になる。
そもそもの日々の行いを改める気がないところに問題を感じる…(笑)
でもなんにしても、血の海地獄に突き落とされるかもしれないという不安から、イエス様は救ってくれた(と勝手に解釈していた)
で、単純な私は何を思ったかというと、「洗礼を受けよう✨」と。
早めに神様のそばに行って、色々ゆるしてもらったら気が楽だわぁ~くらいの浅はかな思いは、もちろんシスターに見透かされ、却下されました。
「もう少し、じっくり考えてから、一緒にお勉強しましょうね。」と。
さすがシスター!!わかっていらっしゃる。
(ちなみにわたくし、こう見えても?(どう見えてるかわかりませんが)、カトリック系の女子校に長らく通っていました。なので、友人にも洗礼を受けたクリスチャンの子がいたり、放課後にシスターと聖書の勉強をしている子もいる環境だったのです。オホホホホ。)
ということで、いまだに天国泥棒のチケットは手にできていませんが、地獄に思いをはせて懺悔するほどの純真さも失ってしまった私・・・
神よ、こんな私をまだ見捨てないでくださいますか?
↑このふざけた感じがだめな気がする・・・
さぁ、今日も楽しんじゃおう!