「ピンピンコロリがいいわよね~」
意味わかりますか?
人生の最期の迎え方の話です。
最期まで元気に、苦しまず、周りに迷惑をかけずころりと死にたい。
確かにね。理想的かも。
でも生まれ方を選べないのと同様に、最期の迎え方も選べないですよね。
もちろん健康寿命を延ばす努力は出来ますが、それにしたって、人間いつ死ぬか、どうやって死ぬかは神のみぞ知る。
私事ですが(私事ばっかり書いてるか、このブログ(笑))
私の母は、ピンコロ系でした。(お母様、ふざけてるわけではないので許してね)
本人が、亡くなったことに気付いてないのではないかという心配をしたくなるほど、その時は急にやってきました。
その日、母は、大好きな実姉と、大好きなお寿司を食べに行っていました。
お寿司の中でも「えんがわ」はお気に入りのネタで、最後に「もう一貫」と締めのえんがわを頼んだそうです。
それが最後の食事になりました。
えんがわがのどに張り付いて、呼吸ができなくなってしまったのです。
ほんの一瞬の出来事だったそうです。
周りの方々の対応も素晴らしく、救急隊員の方は蘇生を試みてくださり、母の心臓はもう一度動き出しましたが、意識が戻ることはありませんでした。
病院に搬送されてから、1カ月間。意識は戻らないものの、母の心臓は動き続け、身体は温もりを保ち続けました。
最初の頃こそ、ただ眠っているように見えて、いまにも目を開けて起き上がるのではないだろうかという気がしましたが、ほんの数週間で手足はみるみる細くなり、到底自力で立ち上がることはないだろうという骨と皮の身体になっていきました。
でも、それを目の当たりにできたからこそ、心の準備ができたと思います。
わたしたちにとっては、母を失う心づもりをするための有り難い1か月間になりました。
そのことも含め、母の最期は素晴らしかった。
2週間後には、わが家に泊まりに来ることになっていたし、一緒にやりたいこと、行きたい場所はまだまだたくさんありました。
だけれども、それは5年後だろうが、10年後だろうがきっと変わらなかった。私たち母娘はとにかく楽しいことが大好き。いつだって、母と姉と娘たちと「次は何食べる?」「今度は何する?」と楽しみを創りだし続けていましたから。
「あら、私死んじゃったの?」ときょとんとしている母の顔が浮かびます。
そのくらい見事にピンコロ系を貫いた母(^-^)
頑張って生きてきたご褒美だったのではないかと思います。
死に方は選べないけれど、生き様が死に様に表れる。
そんな気がします。
ひどい死に方しないように、ちゃんと生きよう(^-^;)
さぁ、お母さん、今日も楽しもう!!