受験はしたことありますか?
もしくはお子さんや、お孫さんの受験を見守った事はありますか?
昨日わが家の長女は高校受験の試験日でした。
この日のために塾に通い、模試を受け、英検を取り、漢検を取り、学校のノート提出を頑張り、定期試験も頑張りました。
本当によくがんばったなと思います。
なので、親としては結果がどうであろうと素晴らしいと、本心から思っています。
(昨日の試験は公立高校に試験なので、もしダメだと、必然的に私立高校に通うことになるので、経済的な負担は随分違う…いや、愛娘のキラキラとした頑張りの前に、そんなことウジウジ言ってはいかん笑)
でもね、娘はもちろん結果を求めますよね。
そりゃそうだ。
第一志望の高校に通いたくて、遊びも我慢してここまでやって来たんですもんね。
でも「結果」よりも「過程」が大事だと。今の職場で学びました。
なぜならば、「過程」はコントロールできるけれど、「結果」はコントロール出来ない。
コントロール出来ないものに固執しすぎるよりも、求める「結果」に向かう「過程」を満足いくものまで引き上げたら、「結果」はついてくるもの。
以前は少し違う考え方でした。
販売という数字で「結果」が出る仕事だったこともあり、なんだかんだ言っても「結果」も大事だと。
どんなにお客様に喜ばれようとも、1時間話し込んで、売り上げがゼロはダメだと教育されました。
それは、「過程」をコントロールできていないことがダメだったんだと今はわかります。
その頃は、結局「結果」を出さないと認めてもらえないと思い込み、「結果」を取りに走った時期もあります。
でも「結果」ばかりを意識していると、疲弊していくんですよね。
コントロールできないものに一喜一憂するわけですから、ずっとジェットコースターに乗っている気分。
今は「過程」を大事にしています。「結果」を手に入れるために、どう向かうのか、なにをするのか。
やり切れたときは、「結果」がついてこなくても、意外と落ち込まないんですよね、次はどうしたらいいかを考え始めるので。
でもやり切れていないときは「結果」が良くても、なんだかモヤモヤする。
我ながら、いい仕事をやらせてもらっているなと思います。自画自賛(笑)
娘にもこの感覚をわかってもらえたらなと思います。
受験の「結果」がどうであれ、本当に娘はよく自分を律してがんばった。
「過程」をコントロールしていました。
見習わないと!!
さぁ、今日も楽しもう!!