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徒然なる思い

自分を見る

自分自身の内面を見つめる機会はありますか?

そんな暇はない。

そんな必要はない。

もしかしたらその裏にあるのは「本当の自分を見ることに対する恐れ」かもしれません。

私はそうでした。

でも、見ないとどうなるか。みないとわからない。そして人間はわからないこと、知らないことは怖いと感じる。怖いのはいやだ。そして本当の自分を好きになれなくなる。

こんな構図が私たちの心理に潜んでいます。

だから、どんな自分であっても、まずは自分自身と向き合うこと、自分をきちんと見ることが大切です。

なんて偉そうに書いている私自身、社長に習うまでは、自分のいいところばかりをみて、、自分で自分のことを大いにごまかして生きてきました。

いやな過去、見たくない現実にはしっかりふたをして、奥深くにしまい込む。

苦手な人、嫌いな人とは上手に距離を置く。

そうやって、表面だけ繕って、自分をごまかしていると、いつかガタがくる。

「なんとなく不幸せ」

いつの間にか、そんな自分になっていました。

最高に不幸せだった時の方がましな気分でした。

自分が最悪な状態にいることがわかっていたし、這い上がるしかないと覚悟が決まっていたので、ただただ無我夢中で登っていく感じで、今思い返すとまぶしくすら思えます(マゾ気質?笑)

なので、とにかく自分がどんな状態だろうと、ありのままの自分を見ることが大切なようです。

でもね、なかなか難しい。

私は1年半前から日記をつけることにしました。自分と向き合う時間を確保するためです。

子どものころから一度も続いたことのない日記。

今回は初めて1年半続いています。

なんせ自分の人生の立て直しに必死ですから(笑)

たった2,3行書くだけですが、その数分は自分と向き合えます。

適当にごまかす自分も、嫌なことにふたをしようとする自分ももちろんまだいます。

「おぉ、いるいる!まだたっぷりいるなぁ。」とだめな自分とも向き合います。

性格や性質は変えられるものじゃないようで、相変わらずですが、現状確認できているだけましな気分でいられます。

自分を見る。

難しいですが、これからも続けます。

さあ、今日も楽しもう!!

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