最近のニュースで印象に残ったことは2つ。
北朝鮮に拉致された横田恵さんの、お父様、横田滋さんが亡くなったこと。
アメリカで黒人男性が白人警官に膝で押さえつけられなくなったことから始まった「Black LIVES matter」デモ。
どちらも、こんなところで書き連ねられるような軽い内容ではないのですが、色々と思うことはあります。
横田滋さんが亡くなったことを受けて、ともに活動してきた方が、「このように(年老いて)亡くなっていき、拉致された家族に会えないまま、何も変わらず過ぎていく。これが当たり前のように思っているだろうが、全く当たり前であってはいけない」というようなことをおっしゃっていて、その言葉の一つ一つがとても重く響いてきました。
当事者ではないとわからない、痛み、絶望。
アメリカのデモに参加していた黒人の男性同士が言い合う動画を見ました。
45歳の男性と31歳の男性。
45歳の男性は「僕たちはずっと耐えてきた、我慢してきたけど、誰も助けてくれやしない、だからもう限界なんだ。」と暴力に訴えざるを得ない心情を吐露します。
それに対して31歳の男性は「その怒りはわかるよ、でもこれじゃダメだ、このやり方じゃあ何も変わらない。違うやり方を考えなくちゃダメなんだ。」と45歳の男性をたしなめます。
そして同じ31歳の男性が、今度は10代の黒人男性に向かって、話し出します。
「よく見ておけよ、今俺たちは、同じ怒りを持っている、お前は10代で、俺は31歳で、あの人は45歳で、同じ怒りを感じているんだ。でもお前は俺たちとは違う方法を考えなくちゃいけない、10年後20代になった時、違うやり方で変えていくんだ。」
私はアメリカの黒人差別を歴史や情報としてしか知りません、でもその動画を見ていた時にとても心が揺さぶられました。
当事者にしかわからない、怒りや、絶望がここにもある。
どのニュースも、私の日常からは遠く、私に何かできることはないように感じます。
でも当事者の痛みや、怒りや、絶望は本当の意味で理解することはできなくても、当事者ではないからこそできることが何かあるのではないかとも思います。
まずは、知ることですかね。
北朝鮮の拉致問題も、黒人の人種差別の問題も、表面的にしか知りません。
まずは知ることが、一歩彼らに近づくことかもしれません。
さぁ、今日も・・・